小樽、札幌などの登山愛好者でつくる山々(さんざん)会会長の宮谷和子さん(66)=小樽市桜一=が日高山脈の幌尻岳(二、○五二メートル)の登頂で、「日本百名山」を踏破した。六年前に膀胱(ぼうこう)がんを克服し、地道に登り続けて十八年。最後は仲間とともに踏破の喜びをかみしめた。
幌尻岳の頂上には十三日朝、山々会のメンバーら五人とともに到着し、百名山達成を祝った。十年ほど前に挑戦した時は沢の水量が増し、断念した。百名山のうちでも難しい山といわれ、感激はひとしおだった。
登山を始めたのは、子育てが一段落した四十歳過ぎから。趣味と健康維持のためだったが、すぐに「一つの山を登りきった時の達成感がやみつきになった」。一九八九年、利尻山(一、七二一メートル)を皮切りに日本百名山を巡り始め、二年間で道内の九山のうち、七山を踏破。九二年からは道外の山にも挑み始めた。
二○○一年、六十九山目の富山県飛騨山脈の剱(つるぎ)岳(二、九九九メートル)に登った際、血尿が出た。腹痛はなく、「過労だ」と思って登山を続行。下山後に病院へ行き、初期の膀胱がんが見つかった。
内視鏡手術で小指の先ほどの腫瘍(しゅよう)を摘出し、再発せずにいる。「山ががんを教えてくれたし、病をはね返す体力もつくってくれた」と感謝する。
モットーは「頂上を極めるだけでなく、登る過程を楽しむこと」。百名山を巡る旅行会社のツアーもあるが、宮谷さんはすべて自分で行程を計画した。九割は道外にあり、往復で十日以上かかる山もあるが、十四年前から勤める障害者施設の同僚たちの理解で休暇を取り、登山を続けられた。
冬山は「技量を超えている」と挑戦せず、夏山中心に楽しむ宮谷さん。「これからも無理せず、楽しく山を登りたい」と話している。
(北海道新聞 引用)
幌尻岳の頂上には十三日朝、山々会のメンバーら五人とともに到着し、百名山達成を祝った。十年ほど前に挑戦した時は沢の水量が増し、断念した。百名山のうちでも難しい山といわれ、感激はひとしおだった。
登山を始めたのは、子育てが一段落した四十歳過ぎから。趣味と健康維持のためだったが、すぐに「一つの山を登りきった時の達成感がやみつきになった」。一九八九年、利尻山(一、七二一メートル)を皮切りに日本百名山を巡り始め、二年間で道内の九山のうち、七山を踏破。九二年からは道外の山にも挑み始めた。
二○○一年、六十九山目の富山県飛騨山脈の剱(つるぎ)岳(二、九九九メートル)に登った際、血尿が出た。腹痛はなく、「過労だ」と思って登山を続行。下山後に病院へ行き、初期の膀胱がんが見つかった。
内視鏡手術で小指の先ほどの腫瘍(しゅよう)を摘出し、再発せずにいる。「山ががんを教えてくれたし、病をはね返す体力もつくってくれた」と感謝する。
モットーは「頂上を極めるだけでなく、登る過程を楽しむこと」。百名山を巡る旅行会社のツアーもあるが、宮谷さんはすべて自分で行程を計画した。九割は道外にあり、往復で十日以上かかる山もあるが、十四年前から勤める障害者施設の同僚たちの理解で休暇を取り、登山を続けられた。
冬山は「技量を超えている」と挑戦せず、夏山中心に楽しむ宮谷さん。「これからも無理せず、楽しく山を登りたい」と話している。
(北海道新聞 引用)